2015年12月29日

娘から教えてもらったこと

今から15、6年ほど前、まだ私がうつ状態が酷かった頃のことです。
突然目の前が少しふわふわした感覚になり、
右の耳の聴こえが明らかに悪くなったので、翌日病院を受診しました。
診断は 「突発性難聴」 でした。

入院を勧められましたが、
小学生の娘が二人おり、仕事もあったので、
お薬で治療することにしました。

突発性難聴は、ストレスが大きな原因と言われていますが、
私はその時、既に大きなストレスからうつ病を抱えていたので、
まさかのダブルパンチでしたface07

その頃、うつ病は、社会的に認知も薄く
怠け者がなる病気のように思われていました。
当時の私は、
「自分の能力がないから病気になるんだ、
家の中で厄介者扱いされるんだ…
この家に居てはいけないんだ…
私が子供を育てると悪い子供になってしまう…」
と思ったので、一時県外の実家に帰りました。

自分からは娘に電話をしたくても掛けられない状態だったある日、
私のことを心配した娘から、泣き声で電話がありました。
この電話で、娘が自分を必要としてくれていることに気付きました。
その後、しばらくして症状が緩和された私は家に戻ることが出来ました。
親子の絆を強く感じた出来事でした。

それから数年、いったりきたりのうつ病の状態でしたが、
娘との平和な日々がやってくると信じていた矢先のこと…

今から8、9年前になります。
左の耳が「ジーーーッ」というような電球が切れた時のような、
蝉が耳元で鳴いているような音がして、
尋常な感じではなかったので、翌日耳鼻科を受診しました。
結局、「ストレスが原因のものではないかと思われますが、
耳鳴りのメカニズムは原因不明で、完治は難しいでしょう。」と言われ、
うつ病・不安発作(パニック発作)を抱えていた私には、
まさかのトリプルパンチでしたicon09

ものすごい不安に駆られた私は、
「私はこの世の中に必要じゃない人間なんだ…」
と思い詰め、自殺まで考えましたface07

その時、私はこの思いをそのまま娘に相談しました。
娘は
「お母さん、私を産んで死にかけたあの時、
助かったのには意味があるんだよ。
お母さんが、この世の中に必要だったから死ななかったんだよ。
だから命は大切にしなくちゃいけないんだよ。」

と優しく言ってくれました。

私は我に返り、私が教えなきゃいけないことを
逆に、娘から教えてもらった気がしましたicon06

そして、命の大切さを実感し、生きる目標ができ、
産業カウンセラーとしての今の自分がありますface02

今も朝から晩まで耳元でうるさく蝉が鳴いていますが、耳鳴りにも慣れ、
そして、あの時の娘の言葉に支えられて生きていますicon12



そんな立派なことを言ってくれた娘ですが、
現在は、けなし合ったり大げんかもする親子ですicon10

ダメな母親だと思い悩みもしましたが、
今はそんな経験が娘達の成長に役に立っていると信じていますicon22

どんな辛い経験も、無駄なことは何一つなく、
全ては楽しい人生に繋がっていくと私は思っています。


今、辛い思いをされている皆様にも、
希望を持っていただければ幸いです。

皆様、どうか良いお年をお迎えくださいvolunteer  


Posted by ミナコ at 17:02Comments(2)日記

2015年12月24日

クリスマスの出来事

今から28年前の11月1日に長女を出産し、
約2ヶ月後のクリスマスに退院しました。

一般的には、1週間で退院できるのですが、約2ヶ月かかりました。
どうしてかと言うと、出産時に体内の約半分近くの大量出血をし、
その2週間後にも、原因不明の大量出血をしたためです。
その時は、最高血圧が50まで落ち、
回りのスタッフの方々がバタバタし始め、意識が段々薄くなり、
私はこのまま死んでしまうのかと恐ろしくなりました(ToT)

担当医も、当直医も不在で、出血が止まらなかったため、
「ご主人を呼びますね…」
と、耳元で囁かれ、自分の命の危険を感じました。

その後、輸血が間に合い、なんとか一命を取り留めました。
自分に起きたことが現実なのか夢なのかわからないまま、
クリスマスが来て、退院となりました。

退院の翌日、自分でもわからない漠然とした不安に襲われ、
手足が冷たくなり、呼吸困難に落ち入りました。
それが最初の過呼吸発作でした。

この、どうすることも出来ない不安を伴う過呼吸発作を
繰り返し起こすようになり、長い間すごく辛い思いをしました。

その後時間はかかりましたが、
治療とカウンセリングにより出産前の明るい自分を取り戻しました。

クリスマスに起きた辛い出来事でしたが、
今は生かされている喜びをかみしめていますicon06



写真は、昨日、某習い事教室のクリスマスパーティの先生とのツーショットですface02

これからもこのように、少しずつ自分の経験をお伝えしていきたいと思いますface01











  


Posted by ミナコ at 17:20Comments(4)日記治療

2015年12月16日

人工関節の手術

2年半程前になりますが、
実家の名古屋にある病院で両股関節の手術をしました。

その4~5年程前から両股関節に痛みがあり、
長い距離を歩くことが出来なくなりました。
その後、日常生活にも支障をきたすようになり、
靴下を履くことさえも出来なくなってしまいましたface07

主治医から手術を勧められ、決断しました。
その決断に至るには、いくつもの大きな葛藤がありました。

まず、プロフィールにあるように過去にひどい鬱を経験した私は、
手術という大きなストレスにより、
鬱が再発するのではないかという不安がありましたicon11

また、手術は、両股関節を人工関節に置き換えるもので、
家族の理解を得るにも時間がかかりました。

さらに、手術は両股関節を一度にするもので、
痛みもリハビリも2倍となるので、相当な覚悟が必要でしたicon10

でも、私は主治医の先生をとても信頼していたので、
決断して手術に臨むことが出来ました。




結果、手術は大成功し、
前回の投稿のように、大好きなスポーツを楽しむ日々を送っていますface02

この経験から、信頼関係の大切さを学ぶことが出来ましたicon12

葛藤や不安があっても自分の意思で決断することが出来る、
一歩前に踏み出し、

「今まで出来ないと思い込んでいたことも出来るようになる」


ということを実感した出来事ですicon22
  


Posted by ミナコ at 17:22Comments(6)手術治療

2015年12月07日

水泳大会に行って来ました!

信越マスターズ

昨日、信越マスターズスイミングフェスティバルに参加しました。
今年は長岡での開催だったので、前日から移動し、会場近くに宿泊しました。
夜はお仲間と楽しく食事会もしましたicon28

結果は、とてもお伝えするような順位ではありませんでしたが、
昨年よりもタイムが1~2秒程縮まり、
おまけに敢闘賞も付いてきましたicon12

プロフィールに記したように、私は以前はパニック障害を抱えていました。
何か大きなイベントに参加する時や、人前に立ったりすると、
ストレスから心臓がバクバクして苦しくなり、その場から逃げ出したくなり、
このような大会には、とても参加出来るような状態ではありませんでした。
と言うより、精神的なものから体を動かす気力すらありませんでした。

でも、今は写真のようにお仲間と楽しく参加出来るようになりました。
以前のような苦しさはなく、程よい緊張感が味わえるようになりました。

同じような症状やお悩みを抱えていらっしゃる方、
私の経験がお役に立てるかも知れません。

これからも、私の経験談を少しずつお伝えして行きたいと思います。
また、このブログを覗いて見て下さいface02

  


Posted by ミナコ at 16:27Comments(5)日記

2015年12月02日

初投稿です

はじめまして!
下平美奈子です。

これからこのブログで皆さんと繋がっていきたいと思います。

プロフィールに記しましたように、
私の今までの経験を少しずつお伝えしながら、
これから皆さんが楽しい人生を送れるようお手伝いさせて頂きたいと思いますので、
不定期更新ですが、よろしくお願い致します!

うちの愛犬inuハッピー(15歳 オス)と共にご挨拶させていただきますface02

愛犬 ハッピー
  


Posted by ミナコ at 18:53Comments(0)日記